Lindy Baker

忘れていくひとを忘れないために

未来の読者に届けたいcookbookとは

Junicci Hayakawa / 早川 純一
ククブク
Published in
8 min readMay 15, 2017

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トップページからご覧になっている方は気づいたかもしれませんが、ククブクのパブリケーション・ステートメントを改定しました。

隠し味はひと匙の好奇心。このパブリケーションでは、優れたデザイン性があり、コンセプトにひとと風土と文化が見える料理本を「cookbook」と定義し、そんなcookbookに関するさまざまなストーリーを発信して、読者のみなさんと交流していきたいと思います。

開設当初から、ククブクで取り扱っていきたい書籍というのは単なる料理本やレシピ本ではなかったので、なんとなく英語の「cookbook」を呼称として使用してきました。

でもその定義については、ぼくがまだきちんとつかみきれていなかったというのもあって、いままではあえて曖昧にしたまま更新を重ねてきたのです。

ところが最近、こういうものなんじゃないかというのが、おぼろげながら見えてきたんですよね。

それはきっと砂漠の砂塵の中の古代遺跡みたいに、まいにち目を凝らして慣れていかないと見つけられないものなのかもしれません。

ということで、cookbookの定義のバージョンアップを図ってみました。

大事なのは「デザイン」と「コンセプト」。

そして今回は、コンセプトに「ひと」が見えるcookbookについて書いていきたいと思います。

今回ご紹介するのは、エミリー・カイザー・テリンの『UNFORGETTABLE: The Bold Flavors of Paula Wolfert’s Renegade Life』。

ナット・キング・コールの甘い声が聴こえてきそうな、 なんともシブいカバーですよね。

この書籍は、知る人ぞ知るcookbook作家、ポーラ・ウルファートに敬意を表した、評伝的cookbookなんです。

題材となっているポーラ・ウルファートという人物は、1938年生まれ、今年で79歳のアメリカ人。

彼女は今日までに9冊のcookbookを出版しており、特に『Couscous and Other Good Food from Morocco』と『The Cooking of Southwest France: Recipes from France’s Magnificient Rustic Cuisine』の2冊は、20世紀後半に出版されたcookbookのなかでも高い評価を得ています。

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彼女の専門分野は「地中海料理」。

野菜を中心としたレシピで、穀物やハーブ、オリーヴや柑橘類などをふんだんに使用したポーラの料理は、今でこそ先進的ですが、70年代80年代にはちょっと早すぎたのかもしれません。

そのせいもあって、アメリカの家庭料理にフランス料理の技法をもたらしたジュリア・チャイルド、イタリア料理を広めたマルセラ・ハザン、女優でもあったインド料理のマドハール・ジャフリー、メキシコ料理の権威ダイアナ・ケネディらと比べて、ポーラの知名度は本国アメリカでもいまひとつでした。

そんな彼女にふたたび光をあてたのは、彼女より40歳も年下の編集者、エミリー・カイザー・テリン。

長いあいだファンだったポーラのコラムを、エミリーが雑誌「フード&ワイン」で担当したのをきっかけに親交が生まれ、彼女のcookbookを作る企画がもちあがりました。

当初エミリーが想定していたコンセプトは、ニューヨーク、タンジェ、パリなどポーラが生活の拠点をおいた土地、そして当時ポーラが心酔していたビート・ジェネレーションの反抗精神に焦点を当てるというものでした。

ところがプロジェクト進行中の2013年に、エミリーはポーラからある告白を受けます。

それは、彼女がアルツハイマー病を宣告されたという事実でした。

この告白をきっかけにして、cookbookのコンセプトは大きく変化するものの、プロジェクト自体は存続していきます。

アルツハイマー病と診断されてからもポーラは積極的に発言を続け、食事の習慣を見直すことによって病気の進行を遅らせる「ブレイン・ヘルシー・ダイエット」を提唱します。

脳にいい食べものというのは、奇しくも彼女が長年のあいだ研究を続けてきた、地中海料理に多くみられる穀物と緑野菜でした。

『UNFORGETTABLE: The Bold Flavors of Paula Wolfert’s Renegade Life』より

こうしてcookbookの原型ができあがり、原稿をたずさえた著者のエミリーは出版社を探して回るのですが、どこの出版社も「ストーリーとしてはいいが、ポーラ・ウルファートは時代遅れだ」と言って、かけあってくれません。

そこでまた登場するのが、クラウドファンディングです。

エミリーはKickstarterを通じて9万ドルを調達し、この価値あるcookbookの出版になんとかこぎつけたのでした。

『UNFORGETTABLE: The Bold Flavors of Paula Wolfert’s Renegade Life』より

cookbook『UNFORGETTABLE』は、テキストと編集をエミリーが担当し、『The Pho Cookbook: Easy to Adventurous Recipes for Vietnam’s Favorite Soup and Noodles』の著者アンドレア・グエンがプロジェクトマネージャーとして参加。

レシピについては、ポーラのオリジナルのレシピを、エミリーとグエンがアップデートして掲載しています。

『UNFORGETTABLE: The Bold Flavors of Paula Wolfert’s Renegade Life』より

デザイナーは、cookbook『Pok Pok: Food and Stories from the Streets, Homes, and Roadside Restaurants of Thailand』『Manresa: An Edible Reflection』などを手がけた、アートディレクターのトニ・タジマ。

写真を手がけたのは、『Pok Pok』や先日のストーリーで触れたチャド・ロバートソンの『Tartine Bread』の撮影も担当した、フォトグラファーのエリック・ウルフィンガーです。

これだけの豪華布陣でも、出版社がゴーサインを出さなかったというのは、ちょっと驚きです。

まあ、株主から利益を出すことが求められている企業が、時代遅れの料理研究家、しかもアルツハイマー病という深刻なサブテーマを持つcookbookを出ししぶるのはわからなくもないんですけどね。

でも本当に歴史に残す価値があるものをしっかり選別して、書籍というかたちあるものにしあげ、未来の読者たちにきちんと引き継ぐっていうのが、ヨハネス・グーテンベルク以降、出版人たちが担ってきた責務なはず。

資本主義も行き着くところまで行くと、もはやそれを実行できるのは、志ある個人だけなのかもしれないですね。

cookbook『UNFORGETTABLE: The Bold Flavors of Paula Wolfert’s Renegade Life』は、日本のAmazonでも発売中です。

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ライター、フォトグラファー。わかさいも本舗さんのウェブサイトのコピーなど。海外の料理本を紹介するサイト「ククブク」は現在お休み中。ロン・パジェットの詩を趣味で訳してます。プロフィール画像は有田カホさんに描いていただきました。