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モダニストでありながら、美意識をつらぬくこと

ただゲイを生きるだけではないcookbook

Junicci Hayakawa / 早川 純一
ククブク
Published in
14 min readJun 27, 2018

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パリでサロンを開いたアメリカ人作家で、詩人、美術作品のコレクターでもあったガートルード・スタイン。

彼女はアリス・B・トクラスという女性と生涯のパートナー関係にあったわけですが、そのアリスが書いた『The Alice B. Toklas Cookbook』というcookbookは、大麻入りのスイーツ「ハシシ・ファッジ」の作り方が載っていることでも有名です。

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そして、そんなガートルードとアリスの生き方に美を見出し、彼女たちの生き方を現代のニューヨークで実践しようとしている男性カップルがいるんだそうです。

ニューヨーク・タイムズ紙に載っていたこの記事。

カップルのひとり、ダニエル・イゼンガートはつい最近cookbookも出版したということで、いったいどんな生き方をしているカップルなのか、気になるので見ていきたいと思います。

記事はニューヨーク・タイムズ紙にコラムを寄稿しているライターのリリー・コッペルによるものです。

彼女がふたりにディナーに招かれるところから始まります。

「アリス・B・トクラスの家にディナーに行く」私はカレンダーに語りかけた(もうメモを書くなんてことはほとんどしない。携帯で音声メモをとる)。パリのフルーリュス通り27番地でアーティストグループを率いた、アリス・B・トクラスとガートルード・スタインの有名なサロンにタイムトラベルをするのではない。そこにはやっかいな食事制限を主張したパブロ・ピカソや、卵が大好きなフランシス・ピカビアもいた。しかし2番目に良い場所は、ブルックリン・ハイツだ。

パリでサロンを開き、夜な夜なピカソやマティス、ヘミングウェイと美術談義に明け暮れていたのがガートルード&アリス組なら、今日ご紹介する二人組はニューヨークのブルックリンで訪れるひとたちをもてなしているんです。

その夜、アリス・B・トクラス役を務めたのは、48歳のダニエル・イゼンガート。以前はキャバレーで歌手をしていたプライベートシェフだ。

ラベンダー色のチェックのネクタイがおしゃれ。

彼はパートナーでコンセプチュアルアーティストのフィリップ・ノーターデイムと暮らしているアパートの屋根裏部屋で、奇妙でロマンチックで幻想的な料理の日々を送っている。

フィリップ・ノーターデイム

イゼンガートさんは、6月7日にアウトポスト19から発売される回想録『The Art of Gay Cooking』のように、物事を書き留めるといういまとなっては奇妙な習慣も実践している。彼は1954年に出版された『The Alice B. Toklas Cookbook』を参考にしてそれを書き、すべての段落をコピーして、現代的な解釈でリライトした。その官能的な声でスタンダードナンバーを歌うときのように。

ダニエルはアリス・B・トクラスの『The Alice B. Toklas Cookbook』をオマージュするかたちで、自身のcookbook『The Art of Gay Cooking: A Culinary Memoir』を書いたんですね。

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1990年代からニューヨークのバー・ドーほかでパフォーマンスを始めたエレガントなイゼンガートさんは、ガートルード・スタインの「妻」であり、ご存知のとおり時代遅れの主婦であったトクラスさんとは、まったくの対照的だ。しかし偶然にも誕生日が同じで(4月30日)、芸術的に生き、善く食べるというセンスを共有している。

イゼンガートさんは家族とともに過ごすこと(ノーターデイムさんはそれを「生地の謎」と呼ぶ)が必要不可欠ではなくとも、価値があった時代に憧れている。ゲイであれストレートであれ、男であれ女であれ、豊かであれ貧困であれ。

ここで、ふたりが大事にしている「家族とともに過ごすこと」は、英語では「domesticity」何ですが、これをフィリップはダジャレで「dough-mysticity(生地の謎)」と言ってるんですね。

家族にかぎらず、友人でもだれでも、とにかくだれかと食事をともにすることってやっぱり大切なんだなって思います。

もちろん、イゼンガートさんがプライベートシェフの仕事を始めたとき、職場は数百万ドルもする豪邸や山の手の贅沢なペントハウスばかりだった。しかし常に変わらないひとつの特徴があった。キッチンはガジェットにあふれているのに、心(あるいは一家だんらん)が欠けているのだ。彼が踏み入れたのはそういう場所だった。

こういう場所の食事は、噛んでも砂のような味しかしないんだろうなあ。

でもだからこそ、ダニエルのようなプライベートシェフの活躍の場があるとも言えます。

彼の本は、この「生地の謎」という愛の炎を家庭に再び燃え上がらせるための青写真を提供してくれる。そこにはトクラスさんによるレシピと、サパークラブの観客のために歌ういっぽうで、ケータリングの仕事でマンハッタンやハンプトンズの名士たちの要求に応じて腕をみがいた、彼自身の何十ものレシピが掲載されている。

cookbook『The Art of Gay Cooking』には、ドイツ南部に住んでいたダニエルの祖母の料理や、幼いころ住んでいたパリにインスパイアされたものなど、250種類以上のレシピが掲載されています。

「ケータリングは、人びとに華やかなライフスタイルに参加しているんだという幻想を与えるはかないお祭りのようなセットのなかで働くという、うっとりとするような連環なのだ」とイゼンガートさんは書いている。

フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は、そんな幻想のなかの大富豪の寂しさを描いていましたが、そうか、パーティーを作る側のひとたちもみな同じ思いを抱いていたわけか。

会員料理とともに出されるパイやガレット、ケーキの各レシピには端的なストーリーが添えられていて、それは材料と同じくらい重要な情報だ。厳格なレストラン経営者であるダニエル・ブールーがゲストシェフとして呼ばれる「ダコタ」でのディナーパーティーのようなイベントを、読者は壁に止まったハエとして見届ける。野生のキノコのリゾットができると、ブールー氏はそれをすぐにひっこめ、キッチンへと戻っていく。

メトロポリタン美術館のMETガラで働いていたとき、イゼンガートさんはガラスドームのなかのケーキのようなマドンナの姿に気づいた。「まるでみんなが女王のまわりで踊り狂っている、ミツバチの巣に閉じ込められたような気がした」と彼は書いている。

METガラは今度公開される映画『オーシャンズ8』でも舞台になっていますよね。

ソニー・ビルディングでのディナーのあいだ、彼は眺めが見えないからどいてくれと言われた。そのような贅沢はゲストのためのものであって、給仕たちのためではないことを思い知らされた。

しかし、彼はいつも腹を立てている人間というよりは、寛大でユーモラスな人間だ。「社交界名士のためのレシピ」の章には、「アレルギー体質の名士のためのデザート」が掲載されている。そのレシピはカフィアライムで香りづけしたマイルドなパンナコッタで、その隣にはだれにも作りやすい「エヴィアンで蒸したブロッコリー」も掲載されている。

「便利なものというのは、彼にとって忌まわしいものであって、想像力の衰退のようなものなんです」と語るのは彼の夫。彼はスタインさんの『The Autobiography of Alice B. Toklas』をモデルにした回想録『The Autobiography of Daniel J. Isengart』を、5年前にアウトポスト19から出版している。

それでこのふたりが、しばしのあいだ自分たちの役割を演じていることがわかるだろう。

これか。

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ダニエルとフィリップの関係が、まんまアリスとガートルードの関係というわけなんですね。

「総合的没頭なんです」と、イゼンガートさんを現代のアリスにしているものについて、53歳のノーターデイムさんが語る。「彼は動きのなかで物事をどのようにセットしたらよいかを、アリスのように本能的に知っているんです。キッチンのなかだけではなく、すべての家事において。感情に関する事柄も含めてです。玄関の前までトラックが届けてくれるような世界は、ダニエルの回転銀河の一部ではないんです。そしてアリスに付随するものは、ダニエルにも付随するんです。寛大さ以上に、私たちの自己中展的な世界において常軌を逸したものはない。それ以上にゲイ的なものなどなく、革命的なものはないんです。それ以上に崇高なものはない。それ以上に美しいものも、同性愛的なものもないんですよ」

さすがもとキャバレー歌手なだけあって、人間の料理という動作から感情の表現、そしてものが作られ、届けられるという物流的な動きにまで、どうあるべきか? どういうありかたがもっとも美しいのか? を徹底的に考えているんでしょうね。

でもこういう美学を持っていると、いまの世の中は生きにくいだろうなあと思ってしまいます。

イゼンガートさんの本は、与えること、感謝の気持ち、そしてアイデンティティといった多くの薄いレイヤーからなる。「小さいころ、大きくなったら何になりたいかと聞かれるたび、画家かダンサー、料理人になりたいと答えていたものだ」と彼は書いている。「この3つについて帰ってきた反応には興奮などなく、いつも戸惑った反応だった。エプロンを着た若い男性は、単に服装倒錯から一歩離れたものとみなされたのだ」

シャルロット・ディプロマットは、フランス、のちにドイツにおける彼の少年時代から「大きなディナーパーティーで私の母がいつも出していたデザート」だった。彼の母は1970年代のパリの料理のレパートリーを学んでいて、食事の後には煙草もたしなんでいた。「私たちの秘密のシュニッツェル」のようなレシピから、そんな彼女の影響がうかがわれる。

杖のかたちをしたキャンディーのアイスクリームがある。ヌテラのタルトもある。チョコトリュフもある。ザッハトルテも。ウィーンの有名なカフェ・ザッハーからトクラスさんが学んだという見つけることのむずかしいレシピが、ここには書かれている。

イゼンガートさんはスイーツを作る情熱を傾けてきたので、ここにはオレンジシャーベットやローテ・グルッツェ(ドイツの赤いベリーのコンポート)、そしてエクレアのバーチャル・ディスコがある。そして大麻愛好家のために、cookbookに初めて登場した人気の「大麻入りブラウニー」、トクラスさんの有名な「ハシシ・ファッジ」を再創作したレシピもある。

「アルファベットの街のブラウニー」は細かく刻んだ(あるいはコーヒー豆のミルで挽いた)大麻、ダークラム、そしてあらかじめパッケージされたブラウニーミックスを使って作られていて、イーストヴィレッジのパフォーマンスアーティストの寄稿によるレシピだ。これは「友人からのレシピ」の章に収められていて、そこには有名なウェイン・コステンバウムやトミー・チューン、エドマンド・ホワイト、そしてキャバレー歌手のミャウミャウによるレシピが掲載されている。

アメリカでは大麻の食への利用はだいぶ進んできているようですね。

日本でも、Netflixで『クッキング・ハイ:マリファナ料理対決』が配信になったりしていて、そう遠くない将来に大麻解禁の議論が起こりそう。

ここで、場面は冒頭の記者がディナーに招待されたところに戻っていきます。

そのディナーは、最近婚約したカップルとともにアーティストの屋根裏部屋へと続く急な階段をのぼることから始まった。 慣例などに従わない(自分たちのセラピストとの情事のことで思案にくれていた)ふたりは、イェール大学美術学校を卒業した壁紙デザイナーと文学エージェントのカップルだった。

私たちはグレープフルーツをひと振りしたカンパリで乾杯をし、揚げワンタンを枝豆のディップにつけてむしゃむしゃと食べた。すべてが自家製でグルテンフリー。ノーターデイムさんの温暖アレルギーに配慮した試みだ。

米酢と新鮮なビーツのジュースに漬けたうずらの卵があった。チャイブとすりおろしたホースラディッシュがトッピングされていて、美術館の綺麗なディスプレイのようだった。そのカップルは自分たちのアパートメントで「ホームレス美術館」を運営している。それはノーターデイムさんのコンセプチュアルなプロジェクトだ。

イゼンガートさんが芸者風の衣装に身を包み、マダム・バタフライとして食事を提供する。

蝶々夫人というよりは、志村けんのバカ殿様に出てきそうではありますが……。

だれかちゃんと着方を教えてあげて!

ディナーを食べるため、私たちは殺風景な、花も飾られていない白いテーブルに座った。

「私たちはモダニストなんです」とイゼンガートさんが言う。

ダンサーの足を組み、ピノ・ノワールをちびちびと飲みながら、彼が自分の創造に浸っていると、ブラッドオレンジ、キュウリ、生のルバーブ、赤タマネギ、オリーブオイル、アボカド、そしてパクチーが添えられたホタテのカルパッチョが準備された(いまは健康マニアだが、そのシェフはバターや現代の体に悪そうな料理の熱狂的な信者なのだ)。焼いたストライプドバス、山盛りのペルシャ風ゴールデンライス、ローストしたベビービーツとラディッシュ、生姜風味の蒸したほうれん草、ナスのピュレと料理は続いていく。

次々と出てくる料理に、ゲストを心からもてなそうとするダニエルとフィリップの気持ちが表れています。

デザートのときにはシャンパンが出される。何重もの層になったスライスしたリンゴでコンフィを作り、芸術的な完璧さで焼かれ、危険なほど山盛りのホワイトチョコレートのムースと、砂浜の砂のようにソフトなクルミのクッキーを食べれば、もう二度とハンプトンズに行きたいなんて思わなくなるだろう。

ディナーがすべて出され、おもてなしが終わると、誰もハッシュ・ブラウニーのことを尋ねようなんて思わなくなるのだ。

そんなもてなしの心が詰まったダニエル・イゼンガートのcookbook『The Art of Gay Cooking: A Culinary Memoir』は、現在すでに発売中。

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ライター、フォトグラファー。わかさいも本舗さんのウェブサイトのコピーなど。海外の料理本を紹介するサイト「ククブク」は現在お休み中。ロン・パジェットの詩を趣味で訳してます。プロフィール画像は有田カホさんに描いていただきました。