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料理本はことばにならない何かで価値が決まることもある

The 2019 Piglet 第1回戦第3試合『Season』vs.『Superiority Burger Cookbook』

Junicci Hayakawa / 早川 純一
ククブク
Published in
19 min readMar 18, 2019

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2018年発売のcookbookがガチンコ対決をし、トーナメント戦でナンバーワンが決定する「The 2019 Piglet」。

今日は第3試合の模様をお届けします。

この試合では、ニック・シャーマの『Season: Big Flavors, Beautiful Food』と、ブルックス・ヘッドリーの『Superiority Burger Cookbook: The Vegetarian Hamburger Is Now Delicious』の話題作どうしが激突することとなりました。

前者は、インドに由来を持つ著者が、多様性の時代に新しい世界料理を提唱するcookbook。

これに対し、後者はベジタリアン/ヴィーガン時代のハンバーガーを提案するcookbookで、どちらも今という時代に対する提案の趣が強いcookbookとなっています。

この試合のジャッジをつとめるのは、『The Female Persuasion』『The Interestings』『The Wife』などの近作がある、小説家のメグ・ウォリッツァー。

『The Wife』は『天才作家の妻 40年目の真実』という邦題で映画化されているので、彼女の名前をご存知の方もいるかもしれないですね。

ぼくが学生だったころは、映画『ディス・イズ・マイライフ』の原作者として話題になった人物です。

Pigletでは、小説家という肩書を持つ審査員は得てしてストーリー重視のジャッジングをする傾向にあるのですが、メグの場合も同じようになるのでしょうか?

第3戦の闘いのゴングが鳴ります!!

試合結果:『Season』の勝利!

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ストーリー重視というより、小説家ならではの感性によってとらえることができる「ことばにならないもの」を非常に重視した、感覚的なジャッジングになったのが印象的でした。

ぼくがcookbookに惹かれるものも、彼女が指摘するような側面だったりするので、とても親近感を持って読むことができましたよ。

メグはまず、自分が普段読む本の種類を語ることから文章を書き出します。

私が夢中になって読む本のほとんどはフィクションだ。ご推察のとおり、読むときはそこにあるヴォイスやキャラクター、言語を自然と探してしまう。しかし本当に求めているのは、定義づけや表現がむずかしい「クオリティ」なのだ。そして私が食べ物に対して求めるものも同じだ。私はパクチーが好きだ(本当)。私は麺類が好きだ(これも本当)。そうシンプルに言うことができる。しかし小説と同じように、食べ物でいちばん好きなところは定義や表現がむずかしく、それが何かを突き止めることができないという事実にこそ興味がある。それはおそらく、「良い食事」とは実用的だがしばしば崇高な感じもする何かだという感覚を損なわずに私にとどめてくれるものであり、そうであるべきなのだ。

小説だって、SFやホラーといったジャンル小説を除けば、書かれていることはおよそ現実を反映したものなのに、そこに突如として現れる、人間がそれまでの自分とはまったく違ってしまうような、あるいは世界のほうが180度変わってしまうような、そんな崇高な瞬間を描いたものが「良い小説」として心に残りますよね。

「良い食事」というのもそれと同じだ、と言っているわけです。

自分が普段小説を読むようにcookbookを読んでいる人間ではないことは言っておくべきだろう。cookbookに深入りすることは大好きだが、それは時々思い出したように起きることで、自分が魅力的だと思うレシピに照準を当て、そのまわりにあるテキストを読むだけだ。 ページ全体をざっとめくり、とても美しい写真をじっと見続けることもあるかもしれない。私にとってcookbookとは、それ自体が完全な物語というより、食べ物への入り口として興味深いものなのだ。とはいえ、その本から料理をいくつか作ることができたなら、その物語はうまく完成したと感じることができるのかもしれない。

そもそも書籍としての読み方が違いますよね。

小説を、自分の気に入ったページだけつまみ食いするように読むってひとはなかなかいないわけです。

そういう点では、cookbookは詩集に近い存在なのかもしれません。

さて、メグが最初に紐解いたのは、ブルックス・ヘッドリーによる『The Superiority Burger Cookbook』のほうでした。

私がPigletトーナメントのために審判を任された2冊のcookbookは、私をワクワクする場所に連れて行き、最終的には完全さという感覚へ導いてくれるものだと思う。まず最初は、ブルックス・ヘッドリーによる『The Superiority Burger Cookbook』だ。この本のもととなっているニューヨークのイースト・ヴィレッジにある小さな有名ベジタリアン料理店、「スペリオリティー・バーガー」は、私も熱狂的なファンである。

私はマンハッタンを拠点にしているが、地理的理由および忙しい旅のスケジュールにより、行きたくてもなかなか行けない現状となっている。結果として、それが食べたいという私の渇望は、時が経つにつれ穏やかな強迫観念にまで高まることになっていた。いつまでも頭のなかで鳴り止まない曲みたいになっているのだ。そしてこの場合その曲というのは、とても美味しく、他では手に入れがたい曲なのだ。

確かに、理由もなくある曲が頭のなかでヘビーローテーションするかのように、食べたいものが頭のなかをぐるぐるすることってありますよね。

ぼくもつい最近「いちご大福」がぐるぐると回っていて、実際に買ってくるまで消えないことがありました。

私にとってスペリオリティー・バーガーはゾクゾクするものだ。私はそのスリルを家で再現しようと試みた。キヌアや煎ったフェンネルシード、さいの目に切ったニンジン、そしてひよこ豆などすべての食材を下ごしらえし、細心の注意を払って組み合わせるには結構時間がかかった。マトリョーシカのようにレシピ・イン・レシピとなっている、オプション的なスペシャルソースの時間は考慮していなかった。それがあってようやくこのハンバーガーは完成するのである。

しかしこの(完全にオプション的な)スペシャルソース自体も、他のもっと簡単なレシピ — — ひよこ豆のマヨネーズだったり、トマトのローストだったり — — をいくつも使っているように思え、私は自分がミクロ・レシピの領域に入り込んでいくように感じた。そのあいだキッチンの上はだんだんと散らかり始めるのだった。

こういうレシピ・イン・レシピのcookbookを使って料理をするときは、よほど戦略的にいかないと、料理の工程が渋滞したり、無駄な空白時間を過ごしたりすることになってしまいますよね。

最初に各パーツのレシピをひととおり紹介するにしても、それだと完成形が見えずモチベーションが下がってしまったりするので、cookbookの構造をどう組み立てるのかというのも一筋縄ではいかないのがわかると思います。

とはいえ、そうやって細分化された料理は努力する価値があり、結果は食感も味もすばらしく、出来上がったものは私が愛してやまないベジタリアンバーガーとほとんど同一と言ってよかった。私はそれを「ヘッドリーのタヒニ・ランチドレッシングのロメインレタスサラダ」やその他の労働集約的で満足のいく料理といっしょに盛り付けた。

ランチドレッシングというのは、バターミルクを使って作られる牧場発のドレッシングのことです。

タヒニを使ったランチドレッシングも自分で作らなければならず、カリフラワーにも「生活の糧」が必要。すなわち、熱したピクルス液につける必要があるのだ。アボカドはつぶさなければならないし、キュウリは細かく刻み、ロメインレタスの葉は切らなければならない。あまりにごちゃごちゃで何もできないというほどではないものの、数分のうちにカウンターの上はいっぱいになり、すべての食材をのっけておくことにプレッシャーのようなものを感じてしまった。このサラダは素晴らしく、具材も豊富なサイドディッシュだったが、私の顔は紅潮し、キッチンは大混乱だった。

翌日、その反動で私は「ヘッドリーのミントとピーナッツ入りキャロットスープ」を作ることにし、それは下ごしらえも調理もスムーズで静かにおこなうことができた。上にトッピングするミントと豆苗、レモン汁からなるミニサラダを勘定に入れない限り、それはサブレシピがないレシピだった。そのスープのレシピ自体はごく単純なもので、物足りないひとのために食材リストには無調整のココナッツミルクと白味噌も書かれている。それは私の知るかぎり、どんな料理をも美味しくさせるものだ。そもそもこれこそが、私がこのスープを作ろうと思った理由なのだ。

同店では野菜のスープも人気です

こうしてスープへと話題を変えたところで、メグはレビューの対象を自然に『Season』のほうに移していきます。

このあたりの論の運びのテクニックはさすが。

実際のところ、そのキャロットスープは送られてきた2冊目のcookbook『Season』に込められた感情を思い出させるものだった。この本は、とても魅力的なフードブログ「ア・ブラウン・テーブル」を書いているニック・シャーマによるものだ。

『Season』のレシピは「インドからアメリカ南部を経由してカリフォルニアへと至る旅」の語りとして描写されている。そして本書はたくさんのスパイスを使うグローバルな本でもある。全体を通じて縒り合わせた糸にはインドの影響がわずかに見られ、それは私にとってとても嬉しいものだった。というのも、スペリオリティー・バーガーに行くことではなく、東6丁目通りにあるインド料理店に行くことが、私がダウンタウンに住んでいた20代のころの企ての多くを占めていたからだ。

ニューヨーク大学にもほど近い、イーストヴィレッジの東6丁目通りは、インド料理店が多い地域。

安くて満腹になるので、学生にはうれしいですよね。

私はすばらしい「カリカリのセージとケフィアの生クリーム ニンニク風味を添えたフィンガーリングポテト」からシャーマの本に取り掛かった。このポテトは作るのが簡単で、自宅の台所で即興で作ったことのある料理を思い出させるものだったが、ニンニク風味の生クリームがポテトをとても美味なものにしていて、私と同席者はただ黙々とスプーンでそれをフィンガーリングにかけるのみだった。私は自分が長いあいだポテトローストをひとつの型にはめ続け、調理したポテトにソースをかけることなんて考えもしてこなかったのを実感した。私はその日とても窮地に陥っていたので、レシピに書いてある自家製のケフィアではなく、より簡単に店で買えるものを使ったが、それでもこの生クリームは驚くべき新発見だった。

フィンガーリングポテトという、指の形をしたペルー原産の細長いジャガイモを使ったこの料理は、ニックのブログにもレシピが掲載されているのでご参照ください。

炭水化物のテーマを続けることにし、私は次にシャーマの「フライドスイートポテト バジル・ヨーグルトソースがけ」に移った。サツマイモ自体が予想通りの美味しさ — — ひとくちサイズで、フライにするのではなくオーブンで焼く — — だったとはいえ、レシピのほうもそれ自体が魅惑的な食材からなるソースがバッチリだった。無調整のギリシャヨーグルトがバジル、アボカド、エシャロット、ライムとともにその役目を果たしていた。これらに加えて、いくつかの食材のためにフードプロセッサーが必要だった。私は作る前からそのソースがどんな味がするだろうかと想像していたが、その想像は正しかった。バジルヨーグルトは最近味わったもののなかでも最高においしい調味料のひとつで、ひとりでも作ることができた。幸運にも、私はそれを作りすぎてしまったので、冷蔵庫に何日も残しておくことができた。その鮮やかなグリーンは、決して色あせなかった。

実際にニックによる投稿を探してみたのですが、確かにバジルヨーグルトソースは鮮やかな緑色をしたソースでした。

続いて、インドの影響を受けた料理を作ることにした。「レインボー・ルート・ライタ」は東6丁目通りで注文したどのライタよりも美味しかった。

ライタというのは、キュウリなどの野菜をピュレ状にしてヨーグルトと混ぜたインド料理で、ブルガリアのタラトルとよく似た料理だと思います。

ニックのレシピでは、ニンジンとビーツを使って「レインボー」を表現しています。

ビーツの金色と赤色があることで、私には目新しく思えた。レシピが警告していたとおり、混ぜすぎないことに注意を払った。小学校のとき、美しく色鮮やかなテンペラ絵の具を泥色になるまでかき混ぜてしまったという不幸な思い出が私にはあったからだ。ここでは、ヨーグルトの白とビーツによる様々な色が、マーブル模様のアートを作り出していた。いざ食べてみると香りが強くフレッシュで、見た目も楽しい。

レシピはこちら↓。

これに関連して、簡単に作れる「トーストしたクミンとライム、キュウリのサラダ」が、なぜ私がインド料理を愛しているのかを思い出させてくれた。それは他に比べるもののない味がする、トーストしたクミンシードと大いに関係があったのだ。

クミンの香りはインド料理の香りそのものといった感じですもんね。

香りと記憶は強く結びついているという好例です。

『Season』は多種多様なスパイスが、様々な方向から様々な方向へと繊細に投入されているような印象を与えてくれる。世界中のフレーバーによって味を向上させ、光を当てるいろいろな方法を、シャーマが一生懸命考えている感じがするだろう。私は調味料のベン図と、「あなたのキッチンはあなたの実験室」であり、「料理に使う食材とスパイスをより深い理解に至るための場所なのです」というシャーマの説明がとても気に入った。

『Season: Big Flavors, Beautiful Food』より

さて、いよいよ最後の判定です。

真実は、これらふたつはどちらも役に立ち、想像力を喚起するcookbookだということだ。食べ物を愛するすべてのひとに心からオススメする。ヘッドリーのレシピの指示に従っているときは、自分がかなりの厳戒態勢にあって、ときおり不安すれすれの状態にあることに気づいた(これは本の内容についてというよりも、私の気質について言っている)。

料理をしていて厳戒態勢とはどういうこと?

私は「キャンディーがけしたハイビスカスとワイルドライスのサラダ」や「グリーン・チリと生リンゴソースのサクサクポテト」のような、ヘッドリーの独特の料理の想像をするのが好きだ。しかし「くさび型じゃないウェッジ・サラダ」を、そこに投入する「ハンマーでたたいたマッシュルーム」や「トマトのロースト」などのミニレシピといっしょに作っている自分を想像すると、少々警戒心を抱いてしまう。

このcookbookが採用しているマトリョーシカ式の調理工程が、どこまで小さい人形が出てくるのかわからない(どの程度の手間がかかるサブレシピが内包されているのかがわかりにくい)ので、やはり不安を煽られてしまうんでしょうね。

こうなると、勝敗はついたようなものか。

ニック・シャーマのcookbookをめくっているときは、非常に美しい写真を眺めるのに時間がかかってしまった。ムードのある背景で、闇に浮かび上がるようなショットの写真だ。

そして「芥子の実、ブラックマスタード、ココナッツオイルと薄切りにした芽キャベツ」を作っているところを想像した。それは私の好みにとても合っている。同じように「トーストしたコリアンダーシードのエッグ・サラダ」や「ナツメヤシとタマリンドのローフ」にも興味をそそられる。なぜなら、タマリンドを使ったものならなんでも興味を抱いてしまうからだ。後者のレシピではヤシ糖が必要だったが、それならニューヨークのレキシントン通りにある大きなスパイス店「カルスチャンズ」に行けばいいだけのことだ。

入手困難な材料を必要とすることも、もはや大きな障害ではないようです。

最終的にバターナイフを突きつけられて脅されるなら、私は『Season』を選ぶことにする。なぜならそこにはエレガンスさ、その抗いがたい世界中のスパイスの見事な融合、そしてそれを使って料理をするときにキッチンに行き渡る、ちょっとした静寂さがあるからだ。私が食べ物について大好きな、定義付けや描写のむずかしいものがそこには表れていて、それが強くて説得力のあるフレーバーのラインに沿って存在し、そのフレーバーが私の心にちょっとした安らぎの感覚をもたらす。

『Season』のレシピが持っていることばならざるものが、どうしても彼女のアンテナに引っかかってしまうんでしょうね。

この本を使って料理をするときのキッチンの匂いが大好きだったし、その匂いが私をキッチンカウンターにとどまりたいと思わせ、さらに長い時間、食卓にとどまりたいと思わせた。私は幸福にも『Season』の扉をくぐってなかに入り、そのストーリーにとどまることができたのだ。

これらの見事な第一級のcookbookで料理を作ることができたのを、私は光栄に思う。どちらのcookbookも、これから何度も繰り返し使うことになるだろう。更に言えば、近い将来にスペリオリティー・バーガーを再訪することを心待ちにしているし、誰かが私のためにこの驚くべきハンバーガーたちを作ってくれることも期待している。私はちいさな仕事机のような食卓に座り、注文を待つのだ。おそらく小説を読みながら……。

ということで、ブルック・ヘッドリーのスペリオリティー・バーガーにもちゃんとリスペクトを払いながら、最終的にはニック・シャーマの方に軍配をあげたのでした。

次の対戦カードは……

ナイジェラ・ローソンと並ぶイギリスcookbook界の女王、ダイアナ・ヘンリーのアンドレ・シモン賞受賞作『How to Eat a Peach: Menus, Stories and Places』と、

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アトランタのシェフ、トッド・リチャーズの自伝的cookbook『 SOUL: A Culinary Evolution in 150 Recipes』が対決します。

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またもやイギリス家庭料理とアメリカ南部料理の対決が実現。

続けて試合を観戦される方はこちら▼のリンクからお進みくださいね!

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ライター、フォトグラファー。わかさいも本舗さんのウェブサイトのコピーなど。海外の料理本を紹介するサイト「ククブク」は現在お休み中。ロン・パジェットの詩を趣味で訳してます。プロフィール画像は有田カホさんに描いていただきました。