「レジェンド」がいっぱいいすぎて困る
地元で愛される本物のレジェンドのcookbook
ライターという職業をしていると、「このひと、ことばを安く使うなあ」って思うことがしばしばあります。
政治の世界はもちろん、CMのコピーや食レポなんかでもそういう「安い」ことばを目にしたり、耳にしたりするたびに、こういうひとは自らがことばの価値(そして自らの信用)を貶めていることに気がついていないんだろうなあと残念に思うんです。
だってみんな「大ヒット上映中」が「映画館でやってます」くらいの意味でしかないこと、もうわかってるじゃないですか。
そんなかわいそうなことばのひとつで、現在進行形で貶められ、その価値を失いつつあるのが「レジェンド」ということば。
あえてここで例は挙げませんが、試しにGoogleで「レジェンド ◯◯」で検索してみてください。
いちどもひとから伝え聞いたこともないような人物が、レジェンドとして語られていることにびっくりするはずです。
こうした状況は洋の東西を問わず、のようで。
今日はイギリスのデイリー・テレグラフ紙に掲載された記事から、本物のレジェンド・シェフのcookbookをご紹介したいと思います。
私はここで濫用によって無意味になってしまったことばの死を宣言する。そのことばというのは「レジェンド」だ。私はフード関連のインスタグラムアカウントをフォローするのが好きだ。みんなが何をアップしているのかを眺める。それは祝福にもなり、呪いにもなりうる。かなりいいレストランのシェフや、『マスターシェフ』で第3位になったようなシェフがしばしば「レジェンド」として語られる。反復によって、そのことばはまったく機能不全になっている。
いきなり「レジェンド」ということばの死亡宣言から始まるこのレシピコラム。
書いたのは、イギリスのウィスタブルにあるレストラン「ザ・スポーツマン」のシェフ、スティーヴン・ハリスです。
ザ・スポーツマンは2016年にイギリスのベストレストランに選ばれていて、ファイドン社から発売されたそのcookbook『The Sportsman』は、2017年にアンドレ・シモン賞を受賞しています。
そんなスティーヴンであっても、「レジェンド」としか形容することができないcookbookがあるようで、
それをふまえてあえて言うのだが、今週のレシピは、伝説のレストランの伝説のcookbook『Leaves from The Walnut Tree』による、伝説のレシピだ。
それが1994年に発売された『Leaves from the Walnut Tree: Recipes of a Lifetime』なんですね。
アバーガヴェニーの「ザ・ウォルナット・ツリー」はいまも営業中で、ショーン・ヒルのもと活況を呈しているが、そこには絶対に覚えておくべき歴史がある。1963年、アン・タルスキオとフランコ・タルスキオがウェールズにあるパブを引き継いだことに始まり、やがてイギリスで最高のレストランのひとつとなった。彼らはイタリア — — 特にマルケ州 — — から多くの影響を受けていたが、ウェールズやアジアからも多くのアイディアを引き出した。
このレストラン「ザ・ウォルナット・ツリー」には紆余曲折があって、タルスキオ夫妻が経営していたころは地元のひとに愛される名店だったのですが、2001年に経営者が変わったことをきっかけに、だんだんと客足が離れていったのでした。
それを立て直したのが誰であろう、あのゴードン・ラムゼイ。
彼がレストランにすでにいるコックのなかからシェフを選び出し、店を再建する様子は、BBCのテレビ番組『ゴードン・ラムゼイ 悪夢のキッチン』で2004年に放送されたのでした。
その後、経営者とゴードンのあいだに中傷誹謗のゴタゴタがあったりして、再び客足を失ったレストランは2007年に一度閉店に追い込まれるのですが、今は新オーナーと新しい料理長ショーン・ヒルのもとで営業を続けています。
私が最初にザ・ウォルナット・ツリーを知ったのは、その本が出版された90年代の初めの頃だ。そのレストランを知る者からは大いに期待されていた本だった。私の目の前には、ややくたびれたその初版本がいまだにある。
その傑出した料理のいくつかは、レストラン産業のスタンダードとなり続けた。私の本はブレサオラ(牛肉加工品の一種)のレシピが載った、赤ワインのシミのついたページで自然と開いてしまう。業界で私たちの多くがこのレシピをどれだけコピーしてきたことか、正確に述べることはできない。私は最近までミシュランふたつ星の「ムーア・ホール」にいたが、食事の最初にほかの加工肉製品とともにそれを提供していた。シェフのマーク・バーチャルは若い頃にザ・ウォルナット・ツリーで働き、いまや古い納屋でサラミやブレサオラを含む加工肉を作っているのだ。
ブレサオラは、北イタリアのロンバルディア州で作られている牛肉の生ハムです。
断面が美しい……。
マークは自分がそこで働いていたときのメニューを私に送ってくれた。それは私が「ザ・スポーツマン」を開店する直前、1999年の10月にそこを訪れたときの記憶を呼び起こしてくれた。私が到着したのは火曜日のランチの前で、簡単にテーブルがとれると思っていた。予約はしておらず、そこは荒野の真っ只中だった。私はドアの前に列ができているのを見て衝撃を受けたが、幸運なことに最後のテーブルを確保することができた。なかに入ると、私はカルト宗教の儀式に出席しているような気分になった。みながお互いに顔見知りで、何が起きるかわかっているようだった。ただ私だけを除いて。
都会だとほかにもおいしい店がたくさんあるから、一店に客が集中するってことがここまで極端じゃないんですよね。
地方の名店に行くときほど予約をしっかり取らないといけないということは、ぼくはリヨンのブションに行ったときに学びました。
私はヴィンチスグラッシ — — そのレシピは以下に記す — — とブロデット(アドリア海風魚の煮込み)、そしてティラミスを食べた。それらのレシピはcookbookに載っていて、私が以前から6年も作ってきたものだった。
『Leaves from the Walnut Tree: Recipes of a Lifetime』には、これ以外にベルギー風のベーコンとポロネギのスープや、ウェールズ風のラム料理、イングランドのヤマウズラ料理、シチリア島のチーズケーキ、エビとパイナップルのカレーなどのレシピが掲載されています。
本のページに載っていたものを実際に目にする素晴らしいごちそうだったが、私の心をもっとも打ったのは、オーナーのフランコが幸せそうに客たちにコーヒーを作っている様子だった。客たちの多くは、あきらかに彼の友人たちだった。もし自分が36年も仕事を続けてあのように幸せそうであったなら、素晴らしい人生を送ったと考えるだろうなと思った。
伝説を語り継ぐのはひとなのだから、何よりもまずひとを愛し、ひとに愛された者だけがのちに「レジェンド」と呼ばれる資格を手にするのかもしれませんね。
少なくとも誰かにお仕着せられるものじゃあないんです。
いま改めてその本の表紙を見直して、「生涯のレシピ」というサブタイトルがついていることに気がついた。アンとフランコはザ・ウォルナット・ツリーが誕生してから30年、そこで料理をしてきた。『Great British Menu』でなんとか5位に入賞し、5分しか営業しないようなレストランのシェフによる、矢継ぎ早にリリースされるcookbookと、なんと対照的なことか。
具体的なだれかのことを批判しているようにも読めますが、ここは突き詰めることはやめておきましょう。
『Leaves from the Walnut Tree』には、窓の外を見つめる魅力的なフランコの写真などはない。生涯の仕事に基づいた、 堅固なレシピコレクションなのだ。まさに「レジェンド」だ。
そんなフランコ・タルスキオ、現在はレストランをリタイアして、料理を教える立場として活動し、2003年には大英帝国勲章(オフィサー)を受章しています。
近年では2017年にウェールズにおけるイタリア料理の名誉大使賞を受賞しているので、そのときの授賞式の動画を最後に貼っておきますね。
みなさん、「レジェンド」の使用はほどほどに……。