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すべてのピザは模倣から始まり、関係性のもとに届けられる

思索するピザ職人、クリス・ビアンコのインタヴュー

Junicci Hayakawa / 早川 純一
ククブク
Published in
8 min readAug 22, 2017

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7月に待望のcookbook『Bianco: Pizza, Pasta, and Other Food I Like』を発売したフェニックスのピザ職人、クリス・ビアンコ。

彼のことは一度プレヴュー的にご紹介しましたよね。

毎日ピザを焼くという行為から人生の意味を学んでいるというクリスは、まさに職人の鑑といった存在でした。

そんなクリスが、ロサンゼルスにも店を開店する準備をしているということで、ロサンゼルス・タイムズ紙に彼のインタヴューが掲載されていました。

ここでも彼の「いい人」っぷりが炸裂していましたので、ちょっと訳してみたいと思います。

最初のcookbookとなりますが、どうでしたか?

これはぼくの唯一の著書なんだ。書くのに4年かかった。ダン・ハルペリン(Eccoの編集者)が書かないかって言ったのは12年も前だよ。ぼくはフェニックスにいて、デボラ・マディソン(cookbook作家、シェフ)とダンが訪ねてきて言ったんだ。「この本は書かなきゃいけない」って。でもぼくは、いや、もうピザの本は必要ないだろうって言ったんだ。エプロンがまだ汚くもなってないのに、シェフたちが本を書き出す時代だった。それでぼくは、きっといつか何かを言いたくなるだろうと思ってた。でもそれからは生みの苦しみだった。忙しかったし、厚かましいと思ってたし。

それが12年前のこと?

そう。そして4年前になって、ダンがまた電話してきたんだ。ぼくは忠誠心が強いからね。もし言いたいことができたとしたら、最初に思い浮かぶのは彼だった。だって最初は20キロ近い重さの、木箱に入っていて泥と種がついたアートブックみたいなものを作りたかったからね。

実際の『Bianco』はむき出しのまま書店で平積みになっている、224ページのcookbookですよ。

でもこの本はとてもユーザーフレンドリーです。ネイサン・ミアヴォルドの本とは違って。

そこがいいんだ。チャド(・ロバートソン)やジム・レイヒー、ポール・ベルトーリの本が好きなんでね。ぼくの母はブリタニカ百科事典とグルメ・マガジンをそろえていた。毎月買ってね。ぼくはマッチボックスのミニカーのコレクションは手放しちゃったけど、それらは手放せなかった。ルース・ライシルがぼくをニューヨークに招いてくれて、小さいピザを囲んだんだけど、ロビーに入ると壁一面にグルメ・マガジンがあって、それを見ながら「これは覚えておかなきゃ、これは覚えておかなきゃ」って思ったことを覚えているよ。もし紙が人間化したら、本当に強力だろうね。

どういう料理本が読者にとって使いやすいのか、小さいころから目にしていたので感覚的に掴んでいたんでしょうね。

cookbookにはそうじゃないものもあります。

映画でも本でも人間でもなんでも、ふたつに分けられると思うんだ。「すばらしい」と「チョーがっかり」にね。みっつめに「思いもよらなかった!」ってのもある。そして思いもよらなかったってのが最強だよ。そして誰かに何かを食べさせるというのは、つねに大チャンスなんだ。

本のなかにはヴェルドラガ、つまりスベリヒユのサラダのレシピが載ってる。90年代にぼくはサンタフェのバッボ・ガンゾで働いていて、どんなサラダを作ろうか考えてたら、ロッキー(厨房スタッフのひとり)がぼくにゴミコンテナから出てくるスベリヒユのことを話しはじめたんだ。ぼくは子どものころ祖父が、タンポポを摘みにタコニック・ステート・パークウェイの近くに連れていってくれたのを思い出したよ。誰かに見られるのが恥ずかしかったんだ。比喩的だと思うかもしれないけど、それが人間だろうが食材だろうがチャンスだろうが、したい放題にしていいってことはないだろ? 何かを届けようとする努力のなかに、無視していいものなんてないんだ。

「何かを届けようとする」の原文が「FedEx something」だったんですが、これって多分、荷物が届くと届いた荷物にばっかり目がいってしまうけれど、それを運んでくれた人の存在を忘れてはいけないってことだと思うんです。

料理や本だってそうですよね。

ひとはついつい料理の華やかさに目を奪われ、物語に感動して涙を流してしまうけれども、それを作って届けてくれる人間の役割が大きいってことは、忘れてはならない。

たしかに。あなたは時々エコー・パークに行きますね。あちこちにフェンネルが生えています。

本当に。存在する魂よりたくさんね。いまはチャド(・ロバートソン)と「Row DTLA」というプロジェクトをしているから、とても楽しいよ。それに、ピッツェリア・ビアンコをここに作ろうと思ってるんだ。それが目標。店を複製するんじゃなくて、いままでやってきたことをすべてつぎ込みたい。でも違ったこともやってみたいし。「終わったときがやめるとき」さ。

ぼくはみんなに受けるわけじゃないし、ぼくのピザもみんなが好きだってわけじゃない。それはわかってるんだ。でも、ぼくに何かを与えてくれる人びとのことは、とても尊敬している。だから、敬意を失うようなことをしちゃならない責任は感じているんだ。このcookbookもそうだよ。ぼくは何が好きなんだ? ぼくはどんな家を建てたいんだ?って考えて書いた。

一冊のcookbookを書くのに、ここまでちゃんと考えている人がいるんですね!

cookbookというのはしばしば回想録でもあります。この本には「私がこれを考案したのではない。相続したのだ」というすばらしい一行があります。

ぼくは人生で何も考案なんてしなかったよ。音楽みたいなものさ。あるバンドに熱狂するけど、3音くらい聴いて、この音は初期のザ・キンクスにすごく似てるなって考える。レイ・デイヴィスは怒るだろうね。同じことが食べものにも言える。この食べものはすごい!って言うけど、ぼくがバルセロナで食べたサンドイッチと同じものなんてないんだ。

これは関係性の本なんだ。食べものと、生きがいを見つけ、それを他人とシェアすることについての。人びとと会話をするための本にしたんだ。火のそばでピザを作ることで、ぼくは想像力をはるかに超えて、会話することができるんだ。

すべての芸術は模倣から始まり、関係性のもとに届けられるということでしょうか。

ロサンゼルスに来たこととはどういう関係がありますか?

この街に対する感受性があると思う。ぼくにとっての何かがあるんだ。チャドや農家たち、西海岸のコミュニティー、穀物団体、チーズメーカー、世界で最もすばらしいものを生産する人たちと何かをする機会に恵まれたしね。ぼくの母方の祖父はコロナ出身だから、もし彫刻家だったら戻ってくるんだろうけど、ぼくはほら、大理石を削ってるからね。原点に戻って来たんだと思うよ。

ピザ生地を作っていると、大理石ののし台も少しずつすり減っていきます。

妻の家族はバーバンクにいる。ロサンゼルスには接点が多いんだ。飛行機で55分だしね。それにこの半年間ここにいたからね。ずっと前からここに来ては、橋を作っているんだ。パーティーに招かれたいし、いろいろトークもしたいし、いろいろやりたいしね。最後のページで木に衝突して残りページが空白になるような、フランス悲劇にはしたくないんだ。ここには可能性がある。 ぼくがどこにいようと、たとえエレベーターや他の場所に閉じ込められようと、働いていれば大切なことを見つけられるんだ。

ロサンゼルスに店ができれば、日本でももっと知名度が上がるかもしれません。

今後のプロジェクトの進捗が楽しみです♪

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ライター、フォトグラファー。わかさいも本舗さんのウェブサイトのコピーなど。海外の料理本を紹介するサイト「ククブク」は現在お休み中。ロン・パジェットの詩を趣味で訳してます。プロフィール画像は有田カホさんに描いていただきました。